好悪、自己主張を言わないでください
(作文练习,如有错误请多指正,谢谢大家!)
最近はツイッターである小説初心者のグループに参加した。
グループの名前はノベリ隊です。
参加した時に隊長さんは相互評価は禁止 喧嘩しない 荒らさない 他人の噂話しない 楽しくやる 来るもの拒まず去るもの追わずというルールを私に説明した。
私はルールを守りますと承諾した。
そして二三日目の時、グループの中で、誰が西尾維新でも毎日二万字なのに、すごいと言って、私は条件反射に、西尾維新の小説は無駄なセリフが多いんですねと返事しちゃった。中国では、こういう風に作家を評判するのは普通のことですから、その時の私は何と無神経の発言をしたかまだ分からなかった。
そうですか?確かに”要らないセリフ”はありますがそれすらも西尾作品の魅力だと思って楽しんで読んでいますが。
ともう一人のメンバーは話に飛び込んで、そう言った。
多分この人は西尾維新の作品が好きかもしれん、私はこう受け取った。自分も西尾維新の一部の作品が好きだから、理解できます。ですが、好きな部分は好きな部分で、気に入らない部分は気に入らない部分で、私にはその区別をはっきりしている。そしてちょっと離れた後、その人はもう一つの発言をしました。
最初から創作物って合う合わないがあるの誰もが理解している”はず”ですし、その作品がたまたま自分に合わなかった、と言うのなら全然、読む必要なんでないんですけどね。私もファン同士でしか話すことないので。
と言った。
それはどういう意味かな、私はあまり理解できなかった。と言うより、意味が分かるけど、その言葉の語気はあまり納得できなかった。そしてその”はず”にはちょっと気にするけど、どうしてクォーテーションマークを使うの?
多分この人は怒ったかもしれん、一応こう受け取った。じゃあ、この話題をやめましょう、と思いながら、自分は妥協な言葉を言った。
まあ、西尾の化物語は面白いと思っています。
と言いました。
——という失礼の話を言いましたが、その時の私は全然気付かなかった。
こういう言い方する時点で話すことはないですね。
と返事された。
今度はこの文の意味は全然納得できなかった。
結局、日本語専門の友達に聞いたら、これは喧嘩しちゃったじゃないですかと言われました。
えっ、何てですか。
私は慌てて原因を聞いたと、友達は、だって、”まあ”はお座なりの言葉でしょう?きっと怒るよと解釈しました。
そうなんですか…
緊張した雰囲気を緩和する言葉と理解してしまった。
其の後は、隊長さんにもそのことを教えてもらった。
好きな作家を呼び捨てされたり、軽く評判されたり、嫌ではありませんか。
と隊長さんはそう言った。
なるほど!私は気付かなかったことは”呼び捨て”ということですね。
日本人は好きな作家に”先生”とつけますからねと隊長さんはもう一言付け加えた。
これらを知った後,先ほど間違った言い方をして失礼しました、と謝った。
そしてもう二三日を過ごした後。
皆さんと成語の話をしていた時、私は隊長さんに内々で注意されました。
ぐいぐい行くのは気を付けてくださいね。人によっては嫌だったりします。
と言われましたが、何のことを指摘してるのがあまり分からなかったけど、一応、はい、わかりました、すいませんでしたと返事した。
確かに自分はほかの人と同じ、成語の話をしていたはずだけど、なんて嫌われたのかな…
こう思いながら、隊長さんにぐいぐいの意味を聞いた。
自己主張を激しくし過ぎない、と返事しました。
日本人は自己主張が苦手ですから、来られると困ってしまいます、と。
そうですか、すいませんでした。
結局、どこが自己主張を言ったのかを知らず、このままで会話を終えた。
やはり、文化の差異が感じます。
私の周りの人は、遠慮なく自己主張を言う人です。アメリカの大学では、クラスの討論をするとき、自分の観点を言わないとだめです。中国でも、友達と一緒に食事をするとき、みな遠慮なくこれおいしくない、まずいねというのも言います(私はあまり食べ物を評判しないけど…感謝の気持ちで何でも食べますので)。
もし私は日本に生活したら、きっとつらいと思います。
それでも、挑戦してみたいと思っている自分は、どこが壊れたかも。