语言·翻译散文读书

夏目漱石《永日小品》之《猫之墓》 个人翻译

2019-05-18  本文已影响8人  切间美星
夏目漱石《永日小品》之《猫之墓》 个人翻译

猫之墓

搬到早稻田来之后,猫儿便渐渐瘦弱了。毫无和孩子们一同玩乐的气态,老是趴在阳光可及的走廊上睡觉。前脚拢在一起,上面搭着它四角方形的脑袋,静静的望着庭院里的草丛,完全没有见过它稍稍摆动下身子。孩子们不管如何在它身边打闹,它也漠不关心,一副旁若无人的姿态。

见到它这模样,孩子们也开始不再寻它玩耍,就差说出:“这只猫已经没法当我们朋友了。”这句话了。将故友以外人相待的并不只是孩子们,女仆也仅是将三餐饭食置于厨房一角,便不再有其他作为。而且这些食物大抵都会被附近一只肥硕的三色猫给吃掉,但猫儿看到了也不曾生过气,我也未看见过它上去亮爪护食,只是安静趴在那。

可它趴的方式怎么看也称不上舒适,与其它猫慵懒愉悦的侧着身子,享受日光浴的模样截然不同。猫儿自知自己不应该在这块地方动身——单是如此并不足以形容,它的倦怠已然到达顶点,不做活动虽有难堪,但做了则更为难堪,只能耐住天生的野劲,一动不动的趴着、忍耐着。

它的双眸虽始终映着庭院的草木,但它恐怕对于树叶、对那枝干的存形,已无半点意识了吧。它青绿相衬的黄色瞳孔投出的目光只是茫然的落在院子的某处,家里的孩子们不再将它视为家中一物,而它自己,似乎也不知自己是否仍真实的存在于这世间。

它也并非光是趴在那,偶尔也会因有什么事的样子而跑出门,可每次出去都会被邻所的三色猫给撵着抓咬。猫儿也很害怕,遂会逃回家,飞跳上走廊,闯过隔着房间的拉门,灰溜溜的落难到地炉旁来。也只有在这时候,家中的人才会注意到它还存于这个家中,而它也才会心满意足的知晓自己仍存活于这个世界。

这种行为接二连三的再现,猫儿修长尾巴上的毛就渐渐稀疏了,刚开始是有如凹陷地穴般的秃斑遍及各处,随后秃斑附近的毛也开始脱落,裸露的皮肌也在逐日扩大。那条尾巴很可怜的耷拉在它身后,它已身心俱疲,压弯了伤难满载的躯体,不停的舔舐着发疼的部位。

“猫儿是怎么回事啊?”看着它的模样我喃喃道。

妻子漫不经心的随意回道:“是有些不太好的样子,应该是年纪太大了吧。”

就这样我也随猫儿而去,把它先放一边了。

没几天,猫儿三餐时总是一副要吐的模样,喉咙像是海浪一层接一层袭来般抖动不止,喷嚏打不出,嗝也打不出,只能呻吟着嘶哑发出很痛苦的声音。

若是听到它这动静我便会将它赶到屋外,虽然对它有些残忍,可也无奈,不这样的话席垫、被子都会被它毫不留情的给弄脏,先前为待客的八锦缎的坐垫就因为它染了大片污渍。

“怎么着也做点啥吧,可能是肠胃问题,拿宝丹泡水给它喝点试试吧。”

妻子听了什么也没说,三两天后,我问妻子给猫喝宝丹水了吗,妻子回答我说:“想喂也没办法,它压根不张嘴。” 然而再补充了一句:“喂它鱼骨头它也会吐出来。”

“它不吃就别喂啊。”我有些生气的吼了妻子两句便继续看书了。

猫儿只要没有呕吐感,就会老样子安详的趴着睡觉。这些日子它会把身子怂成一团,仿佛只有支撑着自己身体的走廊是可依赖的,蹲屈的姿势相较先前也是萎缩不小。它的眼神也有些许变化,视线先是落在近处,远处的景物似乎只是单纯的映于晶体之上,双目的主人并未纳入些许。本在悄然之间,它已遁入平静,放空自我,可莫名的眼珠子又怪异摆动起来,那双眸子在短暂的活跃后再如黄昏时刻渺弱的电光一闪而过般渐渐消沉下去了。我仍置它于不顾,妻子似乎也并不在意,而孩子们自然连家中还有一只猫都忘却了。

有天晚上,猫儿跳上了孩子的床,趴在被子上,不大会儿便呜呜的呻吟起来,像是自己捕到的鱼被抢走了般。察觉到此事的只有我一人,小孩睡得正香,而妻子正专心于手头的针线活,无暇顾及猫儿的异状。

猫儿停歇不久又再次嚎了起来,妻子方才放下针线,我向妻子说道:“猫儿这是怎么回事,这要半夜咬了小孩头可麻烦了。”

“不至于吧。”妻子说着又缝好了一件衬衫的袖子。而猫儿还在时不时的呻吟着。

天明以后猫儿又卧到地炉旁,连着哼哼了一天。我去倒茶、拿药罐的时候听着这声音心里着实不是滋味,可一到了晚上妻子与我却又将猫儿的事抛之脑后,忘得一干二净。实际上猫儿就是在那晚死去的,早上女仆去后院的杂物房取柴火的时候,便发现猫儿已经死在了落满灰尘的破旧炉灶上,弱小的身躯此时却坚硬无比。

妻子听闻特意奔去杂物房查看猫儿的尸体,而后一反先前冷淡的态度,急忙张罗起来。她找到门口的车夫,托人买了座四方的墓碑回来,对我说道:“请在上面写些什么吧。”

我遂在正面写下:“猫之墓”三字,又转到背后留下一句:“九泉惊雷起,漫漫长夜存”

车夫看着询问道:“就这样埋了就行吗?”

女仆听了嘲弄道:“难不成还要给它办个火葬吗?”

孩子们对猫儿的关爱突然间复苏了,他们给猫在墓碑左右摆了两个玻璃坛子,在其中插入许多的胡枝子花,再用茶碗接满水,供在墓碑前。花和水他们每天都会记得去换。

在三天后的黄昏时刻,我正坐于书房之中,透过窗户看见四岁的女儿一人来到猫之墓前,盯着那白木棒看了老半天,而后把手里拿着的玩具的勺子给卸下来,一下接一下的舀起供给猫儿的茶碗水喝着。这事并非只有这一次,于胡枝子花瓣上淌落的点点水珠,在宁静的傍晚,不知湿润了几次我爱子的瘦小喉咙。

在猫忌日时,妻子一定会在猫儿墓前供上一餐有鲑鱼有鲣鱼的饭食,直到现在也保持着,只不过近来她并不会拿到院子里去了,大多是摆在茶间的柜子上。

                                  猫の墓

 早稲田へ移ってから、猫がだんだん瘠やせて来た。いっこうに小供と遊ぶ気色けしきがない。日が当ると縁側えんがわに寝ている。前足を揃そろえた上に、四角な顎あごを載せて、じっと庭の植込うえこみを眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。小供がいくらその傍そばで騒いでも、知らぬ顔をしている。小供の方でも、初めから相手にしなくなった。この猫はとても遊び仲間にできないと云わんばかりに、旧友を他人扱いにしている。小供のみではない、下女はただ三度の食めしを、台所の隅すみに置いてやるだけでそのほかには、ほとんど構いつけなかった。しかもその食はたいてい近所にいる大きな三毛猫が来て食ってしまった。猫は別に怒おこる様子もなかった。喧嘩けんかをするところを見た試ためしもない。ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余裕ゆとりがない。伸のんびり楽々と身を横に、日光を領りょうしているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。懶ものうさの度どをある所まで通り越して、動かなければ淋さびしいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。その眼つきは、いつでも庭の植込を見ているが、彼かれはおそらく木の葉も、幹の形も意識していなかったのだろう。青味がかった黄色い瞳子ひとみを、ぼんやり一ひと所ところに落ちつけているのみである。彼れが家うちの小供から存在を認められぬように、自分でも、世の中の存在を判然はっきりと認めていなかったらしい。

 それでも時々は用があると見えて、外へ出て行く事がある。するといつでも近所の三毛猫から追おっかけられる。そうして、怖こわいものだから、縁側を飛び上がって、立て切ってある障子しょうじを突き破って、囲炉裏いろりの傍まで逃げ込んで来る。家のものが、彼れの存在に気がつくのはこの時だけである。彼れもこの時に限って、自分が生きている事実を、満足に自覚するのだろう。

 これが度たび重なるにつれて、猫の長い尻尾しっぽの毛がだんだん抜けて来た。始めはところどころがぽくぽく穴のように落ち込んで見えたが、後のちには赤肌あかはだに脱け広がって、見るも気の毒なほどにだらりと垂れていた。彼れは万事に疲れ果てた、体躯からだを圧おし曲げて、しきりに痛い局部を舐なめ出した。

 おい猫がどうかしたようだなと云うと、そうですね、やっぱり年を取ったせいでしょうと、妻さいは至極しごく冷淡である。自分もそのままにして放ほうっておいた。すると、しばらくしてから、今度は三度のものを時々吐くようになった。咽喉のどの所に大きな波をうたして、嚏くしゃみとも、しゃくりともつかない苦しそうな音をさせる。苦しそうだけれども、やむをえないから、気がつくと表へ追い出す。でなければ畳たたみの上でも、布団ふとんの上でも容赦ようしゃなく汚す。来客の用意に拵こしらえた八反はったんの座布団ざぶとんは、おおかた彼れのために汚されてしまった。

「どうもしようがないな。腸胃ちょういが悪いんだろう、宝丹ほうたんでも水に溶といて飲ましてやれ」

妻さいは何とも云わなかった。二三日してから、宝丹を飲ましたかと聞いたら、飲ましても駄目です、口を開あきませんという答をした後あとで、魚の骨を食べさせると吐くんですと説明するから、じゃ食わせんが好いじゃないかと、少し嶮けんどんに叱りながら書見をしていた。

 猫は吐気はきけがなくなりさえすれば、依然として、おとなしく寝ている。この頃では、じっと身を竦すくめるようにして、自分の身を支える縁側えんがわだけが便たよりであるという風に、いかにも切りつめた蹲踞うずくまり方をする。眼つきも少し変って来た。始めは近い視線に、遠くのものが映るごとく、悄然しょうぜんたるうちに、どこか落ちつきがあったが、それがしだいに怪しく動いて来た。けれども眼の色はだんだん沈んで行く。日が落ちて微かすかな稲妻いなずまがあらわれるような気がした。けれども放ほうっておいた。妻も気にもかけなかったらしい。小供は無論猫のいる事さえ忘れている。

 ある晩、彼は小供の寝る夜具の裾すそに腹這はらばいになっていたが、やがて、自分の捕とった魚を取り上げられる時に出すような唸声うなりごえを挙あげた。この時変だなと気がついたのは自分だけである。小供はよく寝ている。妻は針仕事に余念がなかった。しばらくすると猫がまた唸うなった。妻はようやく針の手をやめた。自分は、どうしたんだ、夜中に小供の頭でも噛かじられちゃ大変だと云った。まさかと妻はまた襦袢じゅばんの袖そでを縫い出した。猫は折々唸っていた。

 明くる日は囲炉裏いろりの縁ふちに乗ったなり、一日唸っていた。茶を注ついだり、薬缶やかんを取ったりするのが気味が悪いようであった。が、夜になると猫の事は自分も妻もまるで忘れてしまった。猫の死んだのは実にその晩である。朝になって、下女が裏の物置に薪まきを出しに行った時は、もう硬くなって、古い竈へっついの上に倒れていた。

 妻はわざわざその死態しにざまを見に行った。それから今までの冷淡に引ひき更かえて急に騒ぎ出した。出入でいりの車夫を頼んで、四角な墓標を買って来て、何か書いてやって下さいと云う。自分は表に猫の墓と書いて、裏にこの下に稲妻いなずま起る宵よいあらんと認したためた。車夫はこのまま、埋うめても好いんですかと聞いている。まさか火葬にもできないじゃないかと下女が冷ひやかした。

 小供も急に猫を可愛かわいがり出した。墓標の左右に硝子ガラスの罎びんを二つ活いけて、萩はぎの花をたくさん挿さした。茶碗ちゃわんに水を汲くんで、墓の前に置いた。花も水も毎日取り替えられた。三日目の夕方に四つになる女の子が――自分はこの時書斎の窓から見ていた。――たった一人墓の前へ来て、しばらく白木の棒を見ていたが、やがて手に持った、おもちゃの杓子しゃくしをおろして、猫に供えた茶碗の水をしゃくって飲んだ。それも一度ではない。萩の花の落ちこぼれた水の瀝したたりは、静かな夕暮の中に、幾度いくたびか愛子あいこの小さい咽喉のどを潤うるおした。

 猫の命日には、妻がきっと一切ひときれの鮭さけと、鰹節かつぶしをかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の箪笥たんすの上へ載せておくようである。

上一篇下一篇

猜你喜欢

热点阅读