译·校·注丨《伊豆的舞女》3
● 本译稿除重译外,同时对照知名译本,对明显相异处,疑似错译处等添加了注解。
● 所对照的知名译本包括叶渭渠译本和李德纯译本,以叶渭渠为主。
● 词义解释主要参考大辞泉(小学馆)及各类信息渠道。
译文
二
自隧道出口以白漆栅栏缝接外沿一侧的盘山公路宛如闪电般流泻,这模型般的视野下摆处显出了艺人们的身影[24]。未走上六町路程我便追上了她们一行。只是也不能骤然放缓步子,我便假作冷淡越过了女人们。在前方距离约莫十间[25]处独自行走的男人一见我,停下了脚步。
“您脚程真快。——天公作美,放晴了。”
我心下一松,由此和男人并肩同行。男人接连问了我各种事情,女人们瞧见我们二人交谈起来,便从后方啪嗒啪嗒跑近来了。
男人背着巨大的柳条行李箱,四十来岁的女人抱着小狗,大姑娘包袱,中姑娘柳条行李箱,各自拿着巨大的行李,小舞女背着太鼓和鼓架。四十来岁的女人也款款向我搭话。
“是高等学校的学生哥哩。”大姑娘对小舞女嘀咕道,我一回头,她便笑着说,“应该是吧,这我还是知道的,岛上常有学生哥来呀。”
她们说自己是大岛波浮港的人。春天出岛后一直旅行,可天既转寒,此行过冬装备又无预备,故下田待个十天,就要从伊东温泉回岛上去。听得是大岛,我更感到一种诗意,又向小舞女美丽的头发望去,问了大岛的各种事。
“学生哥有很多来游泳的呢。”小舞女对女伴说。
“是夏天吧。”说着,我转过头,小舞女便局促不安地:“冬天也……”像是在小声地应道。
“冬天也?”
小舞女兀自看着女伴笑了笑。
“冬天也能游泳吗?”我又说了一次,小舞女便飞红了脸,现出非常认真的神情轻轻地点了点头。
“傻呀,这孩子。”四十来岁的女人笑了。
到汤野要沿河津川溪谷下行三里多。越过山口后,连山色天光都带上了南国的感觉。我和男人话说个不歇,完全混熟了。穿过荻承和梨本等小村庄,汤野的稻草屋顶在山麓现出的时分,我果断说想一起旅行直到下田。他非常高兴。
在汤野的木赁旅馆[26]前,四十来岁的女人摆出“就此别过”的表情时,他便说:
“这位先生说想与我们同行呢。”
“那真是太好了,出门靠朋友,处世靠人情,我们虽然不是什么体面人,可也能给您消遣消遣呢,好啦,您进去休息吧。”她随意地应道。姑娘们一时间都看着我,一脸若无其事地缄口不言,略略羞赧似地朝我望。
和众人一起上了旅店二楼卸下行李。席子隔扇都污朽了。小舞女从下边端茶上来,一坐在我跟前,满面通红,手哆哆嗦嗦发着颤,茶碗险些从茶托上摔落,没落成,在席子上一搁,霎时把茶溢洒了。这羞怯已极的模样叫我怔住了。
“你这!好不像话,这孩子是怀春[27]了!真是嗳……”四十来岁的女人惊诧地拧起眉毛把手巾撂过去,小舞女拾起了,局局促促地擦拭了席子。
这意外的话语,使我蓦地内省了自己,感觉给山口的婆婆煽起的遐思仿佛戛然折断了。
其间,突然[28]四十来岁的女人说:
“书生少爷你这藏青白点花布料当真不错呢。”便端详起我来。
“这种白花点和民次的是一样的花纹呢,是吧,这不是一样的花纹吗。”
她跟身旁的女人一再确认过后,对我说:
“老家有个上学的孩子留在那儿,那孩子我刚想起来了。那孩子的白点花纹和这是一样的。近来藏青白点花布也贵了,真叫人发愁。”
“哪里的学校?”
“寻常小学五年级[29]。”
“嗳,竟已寻常小学五年级了……”
“去的是甲府的学校,我长年待在大岛,但老家是甲斐的甲府。”
[24]原文是“この模型のような展望の裾の方に芸人達の姿が見えた”。 “裾”是“下摆,裙摆”,是对山麓的比喻。
过往译本有的是“极目展望,山麓如同一副模型,从这里可以窥见艺人们的倩影”→原文的模型指的是自隧道口至山麓为止的整个视野形状,而不是单单山麓像模型;另外,“从这里可以窥见”,这里是哪里?如果指的是山麓,以文中所指的“我”所在的位置,也应该是“那里”。
[25]日本长度计量单位,应沿用
[26]原文是“木賃宿”,这是上世纪早期日本旅店的一种,主要供下等人居住,住客可以自带干粮在旅店自炊,需支付给旅店燃料费,即柴火费,故叫木赁旅店,这是一种专门的称呼,应沿用,或加注释。
过往译本有的译为“小客店”、有的是“小客栈”,但都不足以反映这种旅店的特点和住店的舞女一行人的身份窘迫。
[27]原文是“色気づいた”即开始关注异性,意为怀春。
过往译本有的是“这孩子有恋情”,恋情必然有具体的对象,而原文指的是一种性成熟的阶段状态,而不是具体的对谁有什么恋情。
[28]原文是“突然”,意为“突然”。
过往有译本是“抽冷子”,这是北京方言,原文没有用方言,此处的方言反而妨碍理解,也不符原文气质。
[29]原文是“尋常五年”,寻常指的是日本上世纪早期的一种小学制度,称为寻常小学,再往上为“高等小学”,这是专有概念,应沿用为宜,至多加以注释。
过往译本有的译为“普通小学”或“小学”,都与该词所指代的实际情况不完全相符。
原文
二
トンネルの出口から白塗りの柵に片側を縫われた峠道が稲妻のように流れていた。この模型のような展望の裾の方に芸人達の姿が見えた。六町と行かないうちに私は彼らの一行に追いついた。しかし急に歩調を緩めることもできないので、私は冷淡なふうに女たちを追い越してしまった。十間ほど先に一人歩いていた男が私を見ると立ち止まった。
「お足が早いですね。――いいあんばいに晴れました」
私はほっとして男と並んで歩き始めた。男は次々にいろんなことを私に聞いた。二人が話し出したのを見て、うしろから女たちがばたばた走り寄って来た。
男は大きい柳行李を背負っていた。四十女は小犬を抱いていた。上の娘が風呂敷包み、中の娘が柳行李、それぞれ大きい荷物を持っていた。踊子は太鼓とその枠を負うていた。四十女もぽつぽつ私に話しかけた。
「高等学校の学生さんよ」と、上の娘が踊子に囁いた。
私が振り返ると笑いながら言った。
「そうでしょう。それくらいのことは知っています。島
へ学生さんが来ますもの」
一行は大島の波浮の港の人たちだった。春に島を出てから旅を続けているのだが、寒くなるし、冬の用意はして来ないので、下田に十日ほどいて伊東温泉から島へ帰るのだと言った。大島と聞くと私はいっそう詩を感じて、また踊子の美しい髪を眺めた。大島のことをいろいろ訊ねた。
「学生さんがたくさん泳ぎに来るね」と踊子が連れの女に言った。
「夏でしょう」と、私が振り向くと、踊子はどぎまぎして、
「冬でも……」と、小声で答えたように思われた。
「冬でも?」
踊子はやはり連れの女を見て笑った。
「冬でも泳げるんですか」と私がもう一度言うと、踊子は赤くなって、非常にまじめな顔をしながら軽くうなずいた。
「ばかだ。この子は」と、四十女が笑った。
湯が野までは河津川の渓谷に沿うて三里余りのくだりだった。峠を越えてからは、山や空の色までが南国らしく感じられた。私と男とは絶えず話し続けて、すっかり親しくなった。荻乗や梨本なぞの小さい村里を過ぎて、湯が野の藁屋根が麓に見えるようになった頃、私は下田まで一緒に旅をしたいと思い切って言った。彼はたいへん喜んだ。
湯が野の木賃宿の前で四十女が、ではお別れ、という顔をした時に、彼は言ってくれた。
「この方はお連れになりたいとおっしゃるんだよ」
「それは、それは。旅は道連れ、世は情け。私たちのようなつまらない者でも、ご退屈しのぎにはなりますよ。まあ、上がってお休みなさいまし」と無造作に答えた。
娘たちは一時に私を見たが、しごくなんでもないという顔で黙って、少し恥かしそうに私を眺めていた。
皆と一緒に宿屋の二階へ上がって荷物をおろした。畳や襖も古びて汚かった。踊子が下から茶を運んで来た。私の前に坐ると、まっ赤になりながら手をぶるぶる顫わせるので茶碗が茶托から落ちかかり、落すまいと畳に置く拍子に茶をこぼしてしまった。あまりにひどいはにかみようなので、私はあっけにとられた。
「まあ!厭らしい。この子は色気づいたんだよ。あれあれ……」と四十女が呆れ果てたというふうに眉をひそめて手拭を投げた。踊子はそれを拾って、窮屈そうに畳を拭いた。
この意外な言葉で、私はふと自分を省みた。峠の婆さんにあおり立てられた空想がぽきんと折れるのを感じた。
そのうちに突然四十女が、
「書生さんの紺飛白はほんとにいいねえ」と言って、しげしげ私を眺めた。
「この方の飛白は民次と同じ柄だね。ね、そうだね。同じ柄じゃないかね」
傍の女に幾度も駄目を押してから私に言った。
「国に学校行きの子供を残してあるんですが、その子を今思い出しましてね。その子の飛白と同じなんですもの。この節は紺飛白もお高くてほんとうに困ってしまう」
「どこの学校です」
「尋常五年なんです」
「へえ、尋常五年とはどうも……」
「甲府の学校へ行ってるんでございますよ。長く大島におりますけれど、国は甲斐の甲府でございましてね」