2000年1月以前の日産自動車における製品開発体制
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日产旧体制
#所思:
之所以先写2000年1月以前的体制是因为在这之后被雷诺收购后在新社长卡洛斯格恩带领的新体制下让日产起死回生。然后再写新体制,对比差异。以下日文请参照:
#案例输出:
日産自動車における製品開発は,「商品主管」と呼ばれる役職者が中心となって,製品開発プロジェクトのとりまとめを行い,製品として自動車を作り上げていた。また,最終的にはその製品から得られる収益について責任を負っていた。ある製品のコンセプト創出から製品技術,原価,収益など,その製品の開発と販売に大きく関わっていた。具体的には,下図 に示すように,設計開発部門,生産部門(生産/購買) ,宣伝/営業部門,管理部門(利益計算,利益管理) の4部門の「つなぎ役」をしているとされていた。
2000年1月以前の日産自動車における製品開発体制商品主管の役割は,商品の企画とプロジェクトの運営の大きく2つがあり,製品をつくりあげていく際に,プロジェクトチームの意見を引き出しつつコンセプトのとりまとめを行い,そのコンセプトをチーム全体で共有するように方向付けを行いつつ,製品を完成させていくわけである。コンセプト創出に際しては,マーケットリサーチの結果を見るだけではなく,例えば,遊園地やスキー場といったところに直接出かけたり,グループ・インタビューを行ったり,ユーザーの自宅に訪問したりなど,定量データに加えて,潜在的なものも含めた実際の顧客の要求を実感する試みが行われたりしていた。
また,コンセプトを実際の製品にするにあたっては,製品開発プロジェクトのメンバーに対して,製品コンセプトに込められた「熱い想い」を伝え,方向付けや動機付けを行っていくことで,製品コンセプトを製品全体で統一することにも注力していた。
自動車は,およそ2~3万点の部品によって構成される,非常に複雑で多様な技術領域を含む工業製品である。そのために,製品開発を効果的に行うためには,部品や機能などによって一定の単位に区切り,分業を行うことが必要となってくる。これを再統合することで製品が出来上がるわけだが,製品全体にコンセプトに一貫性を持たせるためには,商品主管が常に部門横断的にそれをチェックする必要があった。
加えて,商品主管は収益についても責任を負っているため,原価も常にチェックを行い, 各部品について,製品競争力を考慮した原価設定と,その配分を行っていた。自動車を含む現代の多くの産業においては,「製品の首尾一貫性(product integrity)」が競争の焦点となってきているといわれている。これには内的側面と外的側面がある。
内的首尾一貫性は,製品の機能と構造の間の整合性のことであり,部品同士はぴったり合っているか,半製品同士は相性よく作動するか,レイアウトは最大限効率よく空間を利用しているかということである。
外的首尾一貫性は,製品の機能,構造,ネーミング等がユーザー側の目的,価値観,生産システム(ユーザーが製造企業の場合) ,ライフスタイル,使用パターン,自己の個性等とどれだけ適合しているかということである )。
これらの一貫性を確保するために,部門横断的に権限が及ぶ「重量級プロダクト・マネジャー」の役割が重要になってくると考えられる。日産自動車においても, 1986 年及び 1987 年に行われた製品開発組織の改革で,「重量級プロダクト・マネジャー」 制度を採ることによって,好業績を収めるようになったとされている 自動車という製品は,長い製品開発期間と製品サイクル,部品点数の多さと必要とされる技術範囲が極めて広いという特徴を持っており,こうした製品上の特徴が, 「重量級プロダクト・マネジャー」 制に適合的であったと考えられる。
すなわち, 幅広い技術を効果的にとりまとめ,製品競争力の焦点である「製品の首尾一貫性」を確保しつつ,コスト削減のためになるべく早く市場に投入する必要性があったことから,重量級プロダクト・マネジャーによる,強力なリーダーシップを通じた製品開発が求められたと考えられる。そこでは,市場と結びついた製品コンセプトを,コストを睨みながら,機能として製品構造に織り込み,かつ,製品全体の首尾一貫性を確保することで商品性を高め,収益を確保することが行われている。
しかし,こうした「重量級プロダクト・マネジャー」制度を取っていた日産自動車は, 90 年代以降の自動車市場の低迷下において,大きくシェアを下げる結果となってしまった。以前の製品開発体制においては,商品主管が幅広い職務内容と大きな権限を持っていた。そのために商品主管自身が,自らの持つ製品コンセプトを製品全体で一貫させることで,「製品の首尾一貫性」の確保によって,製品競争力を高めることに結びつくことが出来たわけである。しかし逆に,このことはいくつかの問題点を含んでおり,この制度が持っている課題が,経済状況の変化に伴って顕在化したと考えられる。
以上
2000年1月以前の日産自動車における製品開発体制