语言·翻译

我的日本记忆|脱鞋(靴を脱ぐ)

2018-05-26  本文已影响364人  宝塔天王
入门脱鞋 鞋尖朝外

今天带孩子们去中山假日广场的博雅书店买书。

今日は中山Holiday plazaの博雅本屋に子供達を連れて本を買いに行きました。

中山博雅书店一角

摆放儿童书籍的有一处高出地面的用木地板铺设的阅览区。每到周末,这里一定挤满了很多大人和孩子,大家都端正地坐在木地板上翻阅各种图书。没有一个人在上木地板时会把鞋子脱掉,所以每次从阅览区的地面上站起来,裤子的后面总会沾上一些污渍。

子供用書籍が置かれたところに床より高くなっている板敷きの閲覧エリアがあります。週末になると、ここが必ず大勢の大人と子供達でぎっしりと詰まっており、皆は行儀よく板敷きの床に座ったまま各種の本を読んでいますが、板敷きの床に上がる際に誰もが靴を脱ぎません。だから閲覧エリアの床から立ち上がると、ズボンの後ろがいつも汚れてしまいました。

这总让我回忆起在日本的经常见到的场面。在日本无论进入日本人的家庭还是如温泉、寺庙、商店里的试衣间等公共场所,日本人都会把鞋子脱掉,然后鞋子头朝外整齐摆放。对于一个习惯穿鞋子进入的我来说,最开始让我感到了十分另类的不适应。

これはいつも私に日本でよく見られた場面を思い出させます。日本では日本人の家にせよ、温泉、お寺、店の試着室等公共の場所にせよ、日本人は靴を脱いでから、靴の先を外向きにしてきちんと並べます。これは靴を履いたまま入るのに慣れてきた私にとっては、最初に奇異なことに思えました。

有一次,我和朋友去泡温泉,当我兴高采烈地要走进更衣间时,意外地一位服务员马上跑了过来,指着我穿着的鞋子说了几次「客人,不可以!不可以!!」。这是我在日本第二次遇到的不适应的经历。

ある日、私は友達と一緒に温泉に行きました。私は嬉しくて温泉の着替え室へ入って行ったら、意外なことに管理者が私のところに駆け込んできて、私の靴を指さして、「お客様、ダメ、ダメ」と何度か言いました。その時が日本で慣れない行動を迫られた二度目の経験でした。

之前是去日本朋友的家里时也发生过这样的经历。不过之后就终于习惯了。当我进入门庭,确认里屋时,发现门口放了几双拖鞋的鞋架,这时自己会凭借以往的经验,按之前被告诉的方式把鞋子脱下来。

その前に同じような経験は日本人の友人宅へ行ったときにも起こりました。この2回の経験をしてから私はようやく日本の習慣に慣れました。玄関ドアに入って、居間を確認したとき、玄関に何足かのスリッパが置かれている靴箱を見つけて、それ時点までの経験から、私は以前言われたように靴を脱ぎました。

好习惯从小养成

脱鞋子的习惯是从日本平安时代(794年-1192年,中国唐朝时代)开始的。在日本人的家里,一定在入门的门厅处一定会放一个摆放鞋子的架子。形成这个习惯的理由之一是日本雨季多,湿度偏高。如果外面穿过的鞋子在家里使用的话,会很快把地面搞脏。我想这个「脱鞋」的习惯或者行为可以说是日本传承下来的宝贵的社会文明之一。

靴を脱ぐ習慣は日本の平安時代(794年~1192年、中国唐朝時代)からの習慣です。どの日本の家でも、玄関先には靴を置く棚のようなものが必ずありました。この習慣のもととなっている一つの理由は、雨が多く、湿度が高い日本の気候が考えられます。外履きを家の中でも使用すると、すぐに床を汚してしまいます。この「靴を脱ぐ」行為或いは様式は日本で大切に伝承されてきた社会文明の一つと言えるでしょう。

这是一个很值得认同的好习惯。在进入朋友的家里,酒店的房间里,私人的空间时,通过脱鞋,你可以区别开哪些是公共的,哪些是私人的。也可以说,通过这个习惯,不仅维护了个人的权利,同时也尊重了朋友,伙伴以及其他人的权利。意味着外面的是外面的,进入家里你就要遵守家里的规矩。

その習慣は腑に落ちるものなのです。友人宅、ホテルの部屋、個人的な空間に入るとき靴を脱ぐことで、公共のものと私的なものの判別ができます。言い換えれば、この習慣を通して個人の権利を守れるだけでなく、同時に友人やパートナー、他の誰かの大事な権利を尊重することになります。また、外の世界をそこで後ろにとどめておいて、家の内ではそこのルールに従うということを表しています。

更进一步来讲,我想「脱鞋」这样的习惯也影响到了日本人对于过去的历史以及现实社会的各种问题的对应和态度。也是影响到日本经济发展成功的一个主要因素。

さらに、「靴を脱ぐ」のような習慣は過去の歴史や現実世界の中にあるさまざまな問題に対する日本人の対応に影響を及ぼしているのではないかと思います。それは日本の経済発展の成功に寄与した主因の一つとも考えられます。

众所周知,通常经济的发展必然会引起环境的破坏。日本在第二次世界大战后经济复苏,工业飞速发展,但由于当时没有相应的环境保护和公害治理措施,致使工业污染和各种公害病随之泛滥成灾。日本从严重的污染,特别是大气污染时期转型到环保时代是在1960年代后半期,在那之前,日本也和中国一样面临了同样的问题,或者说经历了沉痛的教训。

周知の通り、通常、経済発展が環境破壊を招きます。日本は第二次世界大戦後に経済が回復され、工業が著しく発展しました。しかし当時、適切な環境保護と公害整備の措置を講じなかった為、工業汚染と様々な公害病の氾濫を招いてしまいました。日本が深刻な汚染、特に大気汚染の時期を経て環境にやさしい時代に移行したのは1960年代後半でした。それ以前、日本は中国と同じく同様な問題に直面し、或いは心が痛いほどの教訓を得ました。

公共场所入门处的鞋柜 各自的靴子摆放整齐

1953年-1956年,日本熊本县发生了严重的水俣病事件(1953年至1956年发生在日本熊本县水俣镇。该事件危害了当地人的健康和家庭幸福,使他们经济上受到沉重的打击),是一个代表当时日本的环境问题十分严重的一个大事件。

1953年~1956年、日本熊本県で水俣事件(日本熊本県水俣鎮で発生、この事件は現地の人々の健康と家庭に危害を、経済的に深刻なダメージを与えた)が発生し、当時の日本の環境問題がいかに深刻であったかを明らかにする一事件でした。

除了“水俣病”外,四日市哮喘病、富山“痛痛病”等都是在这一时期出现的。日本虽然也经历过污染环境的阶段,但是日本是唯一一个短时间清醒认识到污染环境的代价,通过不断加强环保,以不污染环境为原则取得了飞跃性发展的国家。

“水俣病”以外に四日市喘息病、富山“イタイイタイ病”等は全てこの時期に発生したのです。日本は環境汚染の段階を経過しましたが、アジアで唯一、短期間に環境汚染の代価をよく認識し、絶えず環境保護を強化し、環境を汚さないという原則をもってものすごい成長を遂げてきた国です。

如今日本的GDP虽然没有中国这么高,但是为了不损害环境,将环保放在了第一位的日本在坚持遵守着「脱鞋」原则。

昨今の日本のGDPは中国ほど高くありませんが、環境を汚さないように何よりも最優先で環境保全のために尽くしている日本は「靴を脱ぐ」という原則を厳守しています。

他山之石,可以攻玉。

他山の石、以って玉を磨くべし。

上一篇下一篇

猜你喜欢

热点阅读