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【日语共读】佐贺的超级阿嬷(16)

2019-03-03  本文已影响5人  日语之声

 各位听众小伙伴大家晚上好~

今天将由 新人主播 四四为我们继续带来

佐贺的超级阿嬷(16

では、はじめましょう!

佐贺的超级阿嬷

    故事讲述了在8岁那年,小主人公德永昭广离开家乡广岛,来到佐贺的乡下老家。这里没有玩具,这里没有朋友,甚至连送他来的妈妈也转身离开,迎接德永昭广的只有低矮破旧的房屋,以及独立抚养了七个儿女的超级阿嬷。刚来阿嬷家的德永昭广无法适应这里的寒酸生活,但随着时光的流逝,德永昭广渐渐体味到了与阿嬷在一起生活所得到的幸福。

——岛田洋七

16

佐贺的超级阿嬷(16

    ばあちゃんはそう言って、少々どころか、かなりの太い骨まで、俺に食べさせた。それでも絶対に噛み砕くことができないような固い骨もある。煮付けたサバの骨などは、食べた後、骨をお椀に入れて熱湯をかけ、お吸い物代わりに飲んでいた。が、それで終わりではない。さらに残った骨は、干して包丁で叩いて粉にして、鶏の餌にしていた。他にもリンゴの皮とか、野菜のちょっと傷んだところは、全部鶏の餌になっていた。

    外婆这么说着,连很粗的鱼骨头都叫我吃下去。但总有些鱼骨头是肯定嚼不碎的硬骨头,像鲭鱼的骨头。每次吃完鱼肉后,外婆就把鱼骨头放在碗里,倒进热开水,冲成骨汤喝下去。这还没完哪,剩下的鱼骨头再晒干,用菜刀剁碎,压成粉,当作鸡饲料。其他还有苹果皮、有伤痕的蔬菜等等,都被外婆当作了鸡饲料。

  「拾うものはあっても、捨てるものはないと」

 ばあちゃんは、なぜか威張っていつもそう言っていた。

 拾うものといえば、例のスーパーマーケットだが、年に一度、グルメフェアが開催された。

 それはお盆である。

    外婆总是这么得意地说:
 “只有可以捡来的东西,没有应该扔掉的东西。”
 说到捡来的东西,河滨“超级市场”每年都有一场美食盛会。那就是盂兰盆节。

 九州では、お盆をお祭りした最後の日に、仏様を見送るということで、小さな舟に食べ物や花を乗せて川に流す、精霊流しという行事がある。賢明な方はもうお気づきだろうが、上流から流れてくる舟は、当然ばあちゃんの仕掛けた棒に引っかかる。そこで、舟に乗っているリンゴやバナナなどの果物を拾いあげるのだ。リンゴやバナナは食べたいが、さすがに初めて見た時はバチ当たりな気がした。

    在九州岛,盂兰盆祭祀的最后一天有送神的“精灵流”仪式,就是在小船上载着鲜花食物,顺着河水漂流而下。你大概已经猜到,从上游漂流下来的小船,当然又被外婆的木棒拦住了。外婆捞起小船,拿起上面的苹果、香蕉等水果。我是很想吃苹果、香蕉,可是第一次看到外婆这么做时,担心遭老天惩罚。

 「ばあちゃん、これ、仏様や神様へのお供えやろ?」

 「うん」

 「いくらなんでもわるくないかなあ」

 「何、言うの。このまま腐った果物が流れて行ったら、海が汚れる。お魚さんも迷惑やろ」

 そう言いながらも、ばあちゃんは、一つ一つ舟を拾い上げて、食べ物だけを頂戴する手を休めない。

  「けどね……」

   “阿嬷,这是供给菩萨的东西吧?”
 “嗯。”
 “这样做不会遭老天惩罚吗?”
 “什么话?这样放任它们漂下去,水果腐烂了,会污染大海,也给鱼类带来麻烦。”
 她说着,捞起一艘艘小船,手不停歇地只顾拿起水果。

    “可是……”  

 ばあちゃんは、続けた。

  「船には、亡くなった人の霊がのってるから、ちゃんと、川に返さないと」

 そう言うと、舟をもう一度、そっと川面に浮かべるのだった。

 「ありがとうございました」と、手を合わせて。

  ばあちゃんは、すごく信心深い人だったのだ。

  前にも書いたように、朝のお供えは欠かさなかったし、これだけ貧乏していても、お寺さんへのお布施とか、仏事に関することでケチるということは絶対になかった。

 年に一度のグルメフェアくらいでバチを当てる仏様がいたら、仏様の方に仏心がないのではないかと思う。

  外婆继续说: “船上还载着死人的灵魂,不好好送回河里不行。”
  说着,又把小船恭敬地放回河里,并双掌合十说:“谢谢。”
  外婆是虔诚信佛的人。前面也说过,她每天早上供佛的食物从不马虎,即使这么穷,外婆对寺庙的捐献和佛事的供奉,也绝不吝惜。
  如果有菩萨因为我们这每年一度的美食盛会而惩罚我们,会让人觉得菩萨没有菩萨心肠。


本期主播

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主播/四四

小编/小小铭

责编/日语之声

栏目/佐贺的超级阿嬷

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